自分の持ち物は最適化されている

過去の自分を褒めたい。

本当に今の持ち物が自分にとってベストな組み合わせ、最適化されているのか考えてみると、所有しているものには明確な理由があり、現時点ではそのバランスが取れていることに気付く。

自分は結構判断基準が揺らぐタイプで、昔はあらゆる情報の影響を受けて目の前の行動が変わったり、所有するモノが変化することがありました。

所有するときに検討軸としてあるのは、自分が生活できる水準・ステータスから逸脱したものは持たないということで、予算をいくらでもかけていいのであれば、現在の持ち物はあらゆるものが置き換える対象となるかもしれません。

自分がそのモノに愛着があって、それにはどれだけの予算をかけれるか。それによって所有するモノのグレードが自ずと決まって、その中で最適化した結果が今の自分の所有物になっているように思います。

「ミニマリスト」はバズるキーワードと化して、もう短期的な人からは飽きられているような気がするけども、その人達のブログから見えるような極限まで最小限にするというのは自分の中では考えていません。

現に、パソコン2台+スマートフォン1台構成が今の自分にとっての情報ツールの最適解だし、財布がお札と小銭用が2つあるのも過去の自分の行動パターンから割り出した最適化の結果になっています。

例えモノが小さく・最小限になったとしても、それが自分の生活にとって "不便さ" を感じるのであれば、それ以上モノを少なくする必要はないということであって、自分みたいなふわふわした考え方は本来の「ミニマリスト」という言葉の意味するところとは違うのでしょう。でも、自分は「ミニマリスト」な考え方には大きく影響を受けています。

なぜ、モノを少なくするのかには、それぞれ理由があることでしょう。

自分の場合は旅に出るたびに、モノが邪魔であるとストレスを感じることが大きな原因になっていて、旅に行く際にモノが邪魔ではないと思う最適化ができるのであれば、自分の所有物はこれ以上少なくなることはないような気がします。

どこに行く時でも必要なモノが手元にある状態だったり、使わない・自分の把握出来ていないモノが部屋に転がっていることがないようにしたい。これは自分の所有物に関してであって、家族のモノに関してはまったく興味がありません。ミニマリスト的思考を持っている人が潔癖だったり綺麗好きかと言われれば、あんまり共通点がないように見えますね。


モノを置くスペースにもしお金が取られるとしたならば、自分はどれだけのモノを買うだろう。

現状の生活を疑ってみると、改善するような場所はたくさんあった。それを直していったら今の所有物の量になった。モノを必要以上に持つと、それ自体がストレスになる。日々の生活から、些細なストレスをなくしていくと今まで余裕がなかった自分自身が、細かい変化に気づくことができるようになる。その変化からポジティブな楽しさを見出すことができる。

持ち物を最適化することは現時点では終わっているので、今後大きな変化が訪れることはないかもしれませんが、些細なストレスを摘み取っていくこと、疑問に思ったら「なぜ、それが自分の生活に関わっているのか」しっかり向き合いたいと思う。
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