持ってても困らないのに持ちたくない

自分の生活の中にはモノがないというのは合っているようで合っていなくてまだモノはある。

例えば、いつ使うかわからないDVD-Rだったり、ジッパー小物袋だったり。こういう普段使わないものを所有しておく意味があるのか最近考えることが多い。シャンプー・コンディショナー・トリートメント類、これも一個に出来ないか考えた時期もあったけど、これ系は好みがあるから、その気持ちを誤魔化してまでモノを減らす意味はないかと。

結局自分がモノを減らすのは、モノを減らすことが所有することよりもメリットがあると思っているからで、極端だと言われてもそれが快適だからそうしているだけなのです。自分の所有物がどこに置いてあるかわからない状態って、管理できてないってことですよね。

バッグ類は、ダイソー の スクエアボックス & りんご箱の記事を書いた時からもっと少なくなっているし、スクエアボックスにいれる必要があるもの自体がもうない気がする。

イベントのために所有しているりんご箱、スピーカー、ケーブル類。イベントをやるうえで必要だから不必要でないことはわかっているのですが、スマートでないのはイベント規模に対して、メインとして音を出しているスピーカーが小さすぎてパワー不足で複数組み合わせているということが原因なので、お金があったら、K2Audioさんの上位モデルを買いたいなぁとも思う。低音が出るし、最高の音質だし、最高の音の質感だから、軽自動車を買うくらいな勢いで30万円くらいつぎ込めば買えなくもないだろう。あの音には自分はそれくらいの価値があると思う。

今はなき音の店いわしやで知ったこのスピーカーは、ほんと一生ものになるだろうというくらい音が良いと思う。過去のブログ記事を見ると、今は所有していないノートパソコンなんかがあって、ここ2年くらいで断捨離の加速度が恐ろしいことになっているんだなぁと自分でもゾッとする。


FUJIFILMのカメラを買い換えまくっている管理人は多分飽き性。というか、物に対しての思い入れがない人。

自分にとって不必要だと思ったらすぐに処分するし、買い直せるものであればそこに躊躇はない。自分が理想とするものが何かが一発でわかるくらい頭がキレる人であればいいのですが、基本的に経験しないと何を求めているかがわからない。なぜ、それが必要で、それを求めるのか。

欲しいと思っていた時の自分はそれを所有することで何が得られると思ったのだろうか。なぜその価値観は違うと判断し、処分に至ったのか。

考えもせずに処分するというのは意味がない。使ってみたらそこに自分の求めることがなかったのなら、求めることを明確にする必要がある。厳選していくとはそういうことで、所有しなくても済むのであれば極限まで所有しないことを選びたい。
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