焼鳥 とりさん の 豆腐入りホルモン (大館)

DSCF1134.jpg

人がオススメしてくれる話には、共感するしないは別としてしっかり耳を傾けよう。

そう思うようになったのはつい最近のことで、行ってみたいお店というものに行き尽くしてしまった感じのある自分にとっては、人のオススメのお店いうのはまったく視界にも入っていなかったお店に行くキッカケになる良い流れだと思います。

これは決して食べ歩きだけの話ではなくて、個人だけで何かをしようとすると必ず同じものばかり集まってしまうのは、自分の好きというものがある程度感覚として固まってくるからで、それを砕けるかそれに縛られるかで大きくその先の行動は変わってくると思います。



実は、本日で個人でやっているSNSアカウントはすべて活動を停止しました。Facebook個人アカウント、インスタグラム、さらにはヘビーユーザーだったTwitterも。このブログの告知用としてFacebookページは残っています。

SNSって知らない情報を知ることが出来る良いキッカケになるとは思いつつも、実はその先っていうのは自分の興味の範囲で構築された 言わば 好きな範囲の延長上の出来事が多いような気がするのです。もちろん、そのノイズの中には面白いことも山ほどあるのですが、ノイズの中で良い物をピックアップしようとするよりも、あらゆるものに興味をもって自主的に情報を拾いにいったほうがその満足感はきっと高い。 (まあ、こういうことばかりするとノイズに耐性がなくなるけど)

誰かが嫌いになったわけではないですけど、SNSを辞めるときって人と人の絡みを切ってしまうようなマイナスイメージなそんな感覚は必ずあるもので、特にTwitterはアカウントを消すことについてすごく悩みました。自分が求めるミニマリストな生き方、自分の理想とする生活を考えた時に、SNSにドップリな感じはどうもやっぱりしっくりこない。

自分は不器用でして、複数の事柄を同時進行したり、同じ熱意で愛したりすることが出来ない人。熱しやすく冷めやすいけど、熱があるときはすごく楽しんで出来る。自分が楽しんで何かをやるためには精神的な余裕が必要。



余裕があるときは「あのお店のホルモン煮込みが美味しいんだよ♪」っていうのがとてもワクワクして話を聞くことが出来る。美味しくホルモンが食べられたらそりゃあ精神的にも満足できる。こういうのが感じられなかったのが、食べ歩き引退ブログ記事を書いたあたりの精神状態だったのですよね。忙しい状況に自分を追い込めば追い込むほどあらゆることに興味を失う。

今でも自分はもう食べ歩きブロガーではないと思ってるけど、昔より書きたいことを素直に書けているし、それでいいんじゃないかと思っています。

自分で行動していて何か違うと思った時に、過去を支えている自分の大事だと思っていた "そうでもない" ものを手放す勇気、最近自分はわかってきた気がします。


要はこんな美味しいホルモンが食べられて最高ですっていうことです。
関連記事

このページのトップに戻る

コメント

名前
メールアドレス(任意)
WEBサイト(任意)
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップへ戻る