350mlコーヒー飲料の違和感

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炭酸飲料のボトルの下部がロケットの形になっているのは、圧力に耐えられるようにするための構造上のデザインで、炭酸飲料といえばその形というのが既に認知されていると思います。

説明されなくとも、自然とそのデザインを受け入れているようなことは見渡してみると多いのでないかと思うのだけれど、街なかで見かけたこの350mlのコーヒー飲料には唸ってしまいました。自分の中では、とても違和感があるのです。

今までも、ダイドーのアメリカンコーヒーも飲んだことがあるので、350mlのコーヒー飲料にはまったく触れていないわけではないのですが、通常大きいサイズの缶コーヒーと言えば275g~285gの大きさの缶が多いと思います。

【限定ステッカー付】菅俊一『観察の練習』 | NUMABOOKS出版部

“「見落としていたものに気づく」ということ自体は、何に着目すべきかという問題設定が適切にされていれば、誰でもできるはずなのだ。
その上で、「良い」気づきを得るために「観察の練習」が必要になってくるのだ。観察による気づきは技術だと捉え、何に着目するかを意識しながら、何度も何度もやってみる。当然、技術というからには後天的に学習が可能だし、慣れれば慣れるほど上手くなっていく。”



正しくは、想像するしかない。 - syunichisuge

一定の変化をし続ける映像を見る。
突然絵が消えた瞬間、その後どんな変化が起きたのかを想像してみる。

どちらも、その後何が起きるかは描かれていない。
これは、直前まで見てきたものを手がかりにして、
頭の中にその後の変化のイメージを作り出そうとする試みである。



人間らしさを考えるためにロボット研究をする話に自分が興味を持つように、たぶん「それが成り立つための最小限の要素」っていうのにとても興味のあるタイプの人間なのだと思います。ミニマリストに興味を持つのも、このような思考が強いと納得できます。

省略されたメッセージを読み取れるハイコンテクスト環境下で自然と暮らす日本人、実は観察を常日頃からしていたりするのではないでしょうか。

ローコンテクストは少しまどろっこしさがあって、自分はハイコンテクストを理解できる人間になりたいのかもしれないけれども、この感覚は「粋」とか「野暮」という言葉に行き着くようなところがあるのかも。

でも、ハイコンテクストを要求する社会というのは生きづらさを感じるかもしれない。バランスは大事ですね。
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