やることのできないように構築する

太っている自分が言うと、まったく信憑性のない話になってしまうと思うのだけれども、太るには確実な理由があり、それをなんだかんだで無視し続けるから太り続けるわけだ。

誘惑に負けてしまうのが理由だとわかっていながら辞められないのは、誘惑に惹かれてしまう環境がそこに存在するからだと思う。これはダイエットに始まった話ではなくほとんどのことに共通するもので、やってしまう理由があるからそれに依存するのです。

モノがなかったらそれを利用することは出来ない。
店がなかったらそこに行くことは出来ない。
誘惑がなかったらそれを食べることは出来ない。

出来ないことは不自由かと言われたらそんなことはないと思う。出来ない環境なりに適応していくだけで、それを経験した頃には改めて、楽なことをありがたがるくらいじゃないかな。出来ないことで残念に思う気持ちというのは "他人との比較"で生まれるものじゃないかと思う。あの人はあんな生活をしているのに自分は惨めである みたいなそういう感覚。

問題なのは、比較して惨めになることではなく、本当にやりたいことが実現できない環境に縛られることなんじゃないかな。やりたいのにやれない環境にいるのは悲惨で、やらなくてもいいのにやってしまう環境にいる必要はない。やりたいのにやれない環境を構築するのは、紛れもなく過去の自分の選択である。

何を優先させたいかが時間であるなら、便利な生活になるものを買うのが効率が良いとは思うのだけれども、家の中にいること、そこだけですべてを完結させたいと思わないなら、逆にモノは邪魔になる。

部屋の中から一ヶ月出なくても大丈夫な生活を望んでいるのか、思いついたらどこかにふらっと遊びに行きたいのか。自分は後者の気持ちが強い。

物を持っている持っていないだけで、人の豊かさは表せないと思うし、質素と貧乏も似ているようで違う。不必要なものに囲まれて、それを必要ともしないのにそれを購入・維持することにお金を払う必要性はないと思うし、それを買い続けるサイクルから脱却できないと、お金を稼いでいるのに豊かではない生活になる可能性だってあると思う。

どうせ買うなら、それから得られる気持ちを最大化していく。それを意識するだけで十分素敵な生活ができるんじゃないかと自分は思いますけどね。他人と比較しているうちは、それをシアワセだとは思えないんじゃないかな。


もし、仮に自分がお金持ちになったとして、どれだけ物を買っても不自由しない生活が出来たとしても、不必要なモノは買わないと思いますし、その分を旅行だったり形に残らないものに使うんでしょうね。

自分は不労所得にも興味がないし、今やっている仕事も大好きなので、今のスタイルの中でコンパクトに人生を構築していくことを考えていきたいですね。
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