誤字・脱字・文体・日本語の言い回しが変

とは気づいているのだけど、一向にブログでその傾向がなおらないのは、脳内に浮かんだことをそのままキーボードに打ち込むから、思考を整理する前に文章が出来上がっているからだと思う。

漢字が小学校の頃から苦手で、未だに「早い」と「速い」についての使い分けに悩むし、「硬い」「固い」「堅い」もわからなくなる。ブログの文章を読んでいると、多分自分の文章内では結構ひらがなで「かたい」と書いていることが多いと思う。ひらがなの「かたい」はやわらかそうな印象を受ける。

この文章がどこかに提出するものだったら、誤字・脱字は大きな問題となると思うのですが、このブログは備忘録を公開しているようなものなので、自分自身あんまり気にしていない。文体が「です・ます」調と「である」調がブログ内で統一されていないのも本来避けるべきことなんだと思うのですが、これまたなぜか混ざってしまう。

多分自己完結しているものと、そうでないもので無意識にわけて書いているのだと思うのだけど、一つの記事の中で文体を浮気したくなることも結構ある。

この点については、以前けいろーさんが書いていた記事を読んでしっくりきた。

文章の〈敬体〉と〈常体〉の使い分けについて - ぐるりみち。



けいろーさんの文章って独特のリズムがあって、長文であるのにとても読みやすい。

『ところがどっこい。かと言って、』みたいな表現は、読んでいる人に「おっ」と思わせる要素があると思うし、カラーが出ていると思う。ブログなんて山ほどあって、内容に至ってはもう誰かが書いていることも多い。だからこそ、ブログにはカラーが大事というのは日頃から主張していることです。


「思う」という言葉を文章で多用してしまう理由の一つとして、高校の国語の先生から「~です」という表現ではなく、「~と思います」という表現を使ったほうがいいと言われたのがとても頭に残っているからなのでしょう。

「今日は楽しかったです。」のような表現って自分ではあんまり使わなくて、事実を伝える時に言い切れること、言い切れないこと、今考えていること、過去に考えていたことなどを切り分けて、言葉を選んでいる感覚があります。

文章の途中に「多分」や「結構」を挟んでしまうのは自分の癖で、この二つの言葉自体には言葉ほどのニュアンスを含んでいない場合が多い。これを文章内から省くだけでよりスッキリするのはわかっているのですが、この記事の最初に書いたとおり、脳内を整理せずにそのまま打ち込んでいくスタイルのため、余計な言葉が増えるのでしょう。

人が話す時に「あー、~はこうでして」のような余計な言葉が文章中に表れるのが自分の場合は、この二つなのですね。


自分が思いつくまま素直に書いた内容をしばらくしてから読み返すこと、自分のやってきたことを振り返ること、今やってることが本当に最適かどうか考え直してみること、自分が大事にしたいことは何か深く考えてみること。

あらためて癖について考えてみることだって、自分からしたら有用なこと。他人にとって無価値でも、ネットのどこか遠くでたまたま記事を読んだ1人が反応する "可能性がある" なら、自分はそれだけでブログを書く意味が思う。

まー、好きに書いてればずっとブログは続いていくし、そこに大きな見返りを求めないことだね。
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