ミニマリストは柔軟に機械的な判断をする人間

ミニマリストは柔軟に機械的な判断をする人間のような気がする。

●●は■■だから必要ないという絶対的な条件式があって、繊細な人間の持つセンサーであらゆる状況の些細な違いを判断し、その答えを変える。●●は■■だけど、▲▲なので必要であるといったふうに。

ミニマリストを目指そうとして判断を誤った断捨離をしてしまう人は、その状況を仕分けるセンサーが働かずに、本来選ぶべき選択肢を間違えたことが原因なのではないかと思う。木を見て森を見ず。

例えば、ガソリンスタンドの料金が1円安いから遠くの場所へ行くというのは、目の前のことにとらわれて、全体を見ていないいい例だと思う。

あなたの車は例えば10リットルで10円違って、その分いくら走行できるのだろう。さらに言うならば10円節約するよりも家計が圧迫されている要因を考えたほうが簡単ではなかろうか。

あらゆる問題というのはそれを自分が問題と認識したところからはじまる。それを本人が問題と認識しなければ少なくともその人にとっては問題にはならないのだ。

よく、他人から見て問題だと思うのに本人の自覚がなく問題が解決しないという状況には出会うものだけども、問題を認識しないという行動自体にはその人の価値観が大きく関わっている可能性が高い。

ミニマリストの考え方が好きなのは最小限を目指すことの中には山ほどの選択肢があり、それの結果がそこに残るから。考えを適当にしていては残るものには残った明確な理由がない。

先ほどのガソリンスタンドの話ですが、節約に焦点を絞ると、もっと上位の問題を解決した方がいいということになるけど、そのガソリンスタンドのサービスや人が気に入っているというなら選ばない理由はない。その人にとって価格よりも判断基準としてサービスの良さが優先されるのならそれは正解。

結局はあらゆる要素を総合的に判断して結果を出すのだけど、その要素を一つ一つ深く追わずに判断の精度が上がることはありえない。判断を繰り返していくと、パターンから判断が早くなるけど、その判断が正しいかどうかはパターンをしっかり見直してそこに誤った判断基準を設けていないかどうかの確認が必要になる。前提条件が間違っていれば結果に影響が出てしまう。

自分はこれが好きだという気持ちの中で、その中の何が好きなのだろうと考える気持ちは常に持っていたい。人生において絶対に手放せないもの以外で惹かれるものの中には、人生を楽しくするための何かが含まれている。

必ずしもその要素は他人と共通になるわけはない。自分が生活してきた中で得たものから形作られた自分だけの良いと思うものだ。

共通であったら嬉しいといった感覚を、共通でなければ寂しいと思っていた昔の自分は気持ちに嘘をついていたのだろう。答えは明確に出ているのに、それを自分で認められなければ、正しい答えも答えではなくなる。ただ、考え方によってはそれすらも優先すべきことが自分の中で認めることではなく、他人と共有することという判断を見間違ったことによって生まれている。

ときめく条件を常に考えながら、柔軟に考えていけば今後大きな間違いは起きないと思う。それをするためにはインプットとアウトプットをしっかり行うことが重要かと思う。
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