最近気になったWEB記事 2016/11/06

ブログを書く人は全世界にたくさんいて、様々な書き手の視点から文章が生まれていくけど、自分は誰もが望むような記事よりも、一部の人にしか読まれないような記事のほうが面白いと思う。いわゆる "雑文" というやつなのですが、そこからの気付きというのは狙って書かれた文章にはないハマりの良さみたいなのがあるんです。なんだか、しっくりきたっていう感覚です。

注目を浴びないものが悪いということはなく、注目を浴びないものはただ注目を浴びる要素がないだけなのです。地味。

地味なもののなかから面白さを探す作業っていうのは自分は大好きで、きらびやかで目立っているもの以上に惹かれる要素があると思うんですよね。

人間関係なんかについての色々。 : 最後に、若者に言っておきたいこと。


自分は他人の意見に正解だとか不正解を言うつもりはないし、自分がそれに対してどう思ったかを整理したいという気持ちが強いタイプ。相手が自分と違う考え方になろうとも、それが自然だし当たり前だと思う。

このブログの人の文章の構成をみると、とても自分好みな感じがして、読んでいてとても楽しい。『俺に興味がない人、さようなら。俺のことを嫌いな人、さようなら。』っていうスタンス、自分と似てるなぁと。

信頼を蓄積する3つのこと | 社長のブログ社長のブログ


肩書について調べていたら出てきました。

自分は、何を言ったかのほうが大事だと思うタイプなんだけども、「真摯さ」「一貫性」「共感性」の3つが大事というのはすごくわかりやすいですね。肩書がオマケにならないような発言や行動をする人には惹かれるし、そうでない人は似合わない肩書が嫌悪の対象となる。

「肩書き」を評価されることに対する嫌悪感の正体 | 一燈を提げて暗夜を行く


まさにこの記事なんかが、自分の思っていることをストレートに書いてるのだけれども、行動を通じて自然とそういう覚えられ方ができるというのは大事なことだと思う。

自分を売り出すことに劣等感がある人間なので、セルフブランディングとは逆方向にいる人間なのですが、別に売り出したくないというわけではなく、それを意図的に行うのが嫌なのです。

あの人は、一貫した考えでいつもああいうことをやっていて、それを見ただけでその人っぽいというイメージが浮かび上がるほうがよっぽど大事だと思うのです。それがカラーであり、強みであり、肩書につながっていくものではないかと思う。言葉にすることは難しいけど、中身がある感じっていうのかな。

幸せは余白に宿る。 - はなうた横丁


人生における余白、自分もそれが大事だと思う。

ミニマリストという言葉は、モノを究極に減らすという一面でしか理解されにくいけども、もっと大きな影響が起きるのは心理的な余裕である。別にモノを持っているからといって余白がないわけではないけども、究極までモノを減らした先にあるのは今までにない余白のある生活である。その余白を不安と見るか、自由と見るかは人それぞれだけども、目の前のことにしっかり向き合える時間が確保できているということはシアワセを感じるうえで重要な意味があるのではないかと思う。

「やらなきゃ」と感じたことをやる状況にしているのは自分。どうしたらそれを辞められるかを考えたら、目の前がどんどんシンプルになっていく。必要なことはやればいいし、必要ないことならやめてしまえばいい。やめてしまっても、自分自身がその変化に適応できる心さえあれば、悪い方向にはいかない。

「面白さ」の国境線 - シロクマの屑籠


この人もかなり好きな文章を書く人です。

「インターネットのトラフィック上における、一種の陣取り合戦」と面白い言葉を選んだなぁと思うんですが、インターネットの世界でも実世界でもふれられる情報というのは無限大にあるように見えて、目の前に見える一部分です。検索したとしても、それは広告的なもの、検索ウケするものが上にヒットする時代。そうなってくると、可視化される情報の裏に消えゆくものが出てくるのは避けられません。すべてを追うことは到底不可能です。

そうなってきたときに陣取り合戦で劣勢となっているほうの情報は観測するのが困難になるので、それが最近情報検索して悲しくなるところ。

自分は大抵の場面においてなぜかマイナーを選択してしまうところがあって、それで一時期悩んでいた時期もありましたけども、共感を求めなくなってからどうでもよくなりました。

消えゆく運命にあるのかもしれない、昔のインターネットのような形、ほそぼそとどこかで生き残って欲しいものです。

「相手の言うことにも一理ある」と考えると、イライラ・モヤモヤが消えた。 - もっこもこっ


相手がどういう意図でその行動を選択したのか理解しようとすること。話す・指示する・怒る、どんな状況にでも相手の意図が隠れていて、実現させたい目的がある。

相手がどんなに怒りっぽい人であっても、なぜその人が怒るのかを考えることができたら、その人はどういう人なのかが思考の過程から見えてくることになる。生理的に受け付けないというのはもちろん誰でもあるし、そんなこと考えたくないと思う気持ちもわかるけども、常に冷静に見ていれば目の前で起こっていることには、それぞれの思考が反映され、それが表に出てきていることがわかるはずだ。

18歳のときには何が知りたいのかを知らなかった  生涯学習の重要性 - New Phase



大人だからこそ、学びたいし、学ぶ意味があるですか。大学に再び行くという選択肢を選べる人はなかなか多くはないだろうけど、よりたくさんの意見を聞いて、自分自身を高めていこうとする心は持ち続けると良いと思いますね。

知るということは楽しいです。
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