同時にたくさんのことは出来ないし、出来ることには限りがある

だからといって、求めることをやめるのは、人生をつまらなくする行動だと思う。

音楽好きの人が音楽を探し続けるという行為は、過去に聞いていた音楽を聞く時間を少なくするという選択をしているということ。お気に入りの店を増やすということは、他のお気に入りの店にいく頻度が少なくなるとうこと。趣味に没頭するということは、睡眠時間を短くするということ。

何かをやろうとすると、必ず何かが犠牲になる。一回につき二個の物事を同時進行させようと思えば、少しは時間が確保できるかもしれないが、結局出来ることには限りがあると気付く。

そこまでして新しいものを求める必要がないと思って、究極の方向へカジをきったのが、ミニマリストのような存在かとは思うのですが、そこで新しいものや、新しい出来事を求めなくなってしまえばただの思考停止。

なぜ今の生活が心地よいと思えるのか、自分の中でその理由を明確化出来ていないと、その生活は最適であるとは言えないし、最適だと思う基準がわからなければ、その生活をアップデートしていくことすら出来ない。

自分は今の生活を変えたいと欲よりも、自分が好きだったものに自然に触れることが少なくなり過去に葬り去られようとしている生活サイクルに疑問を感じている。過去に依存するということではなく、それが嫌いになったわけじゃないのに、触れられなくなっていくことが勿体無い。

溢れるだけ選択を迫られる状況というのは既に抱え込みすぎであると考えることも出来る。そこまで必要なことは世の中にないのにも関わらず、何か空いているところがあれば埋めなければいけないという気持ちに縛られているのかもしれない。

あらゆることに興味をなくせと言っているわけではなく、なぜ自分の生活の中にそれがあるのか再考する価値があるということ。自分のことって自分がわかってないと思うんですよね。

だからこそ、自分がどういう考え方を持っているか理解しようと考え続ける。死ぬまで一生繰り返して、それが言葉に重みを出す軸となっていく。上辺だけの感覚ではなく、思考の深い部分から出てくる本当の気持ち。

そうして考えた言葉を発したときにそれをどう判断するかは、相手が判断すること。自分の発言をしっかり伝えればそこから先は他人がどう受け取るかということだけです。
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