変わりゆく評価を自分の行動の軸にしない

このブログは「大館市 ブログ」で検索すればトップに出てくる地域ブログですが、秋田県大館市に在住というだけで、あんまり地元大館市についての話題は多くはありません。

「大館市 ブログ」でトップに出てくることは、強みのようなものなのかもしれません。ブログを11年続けていることも強みなのかもしれません。でも、自分はそれに依存しません。

もし、仮に大館でブログを書く人が増えたとしましょう。もし、仮にトップにヒットしなくなったとしましょう。自分がそれに依存してしまっていたら、ブログを書くモチベーションというものがなくなってしまう可能性すらあります。地元で食べ歩きの情報を発信する人が少ないから、アクセス数が伸びているだけであって、同じことをやる人がいたら相対的に注目されにくくなるのは誰でも想像がつくものです。


自分がブログを書く理由は備忘録であって、アクセス数が伸びることでも、たくさんの人に認知されることでもありません。それはブログというメディアに書き続けたことによる付随要素であって、あってもなくても構わないものです。

強みというものを自分のアピールポイントとして扱っている人は、変わりゆく評価に気を使って生きなければいけません。今あるポジションを維持するためには、強みだと思っているものを常に表に出し続けていなければいけないからです。自分にとっては単純にそういうのが面倒くさい。

生きていれば「その人らしさ」というものが必ず行動にあらわれます。それは、良いことなのか悪いことなのか相対的に周りと比較されることで自然と目の前に見えてくるものです。

「その人らしさ」を目の前の強み "だと思い込んでいること" にしがみついて軸をブレさせてしまうのは勿体無い。キャラ作りをするのか、自然とそうなったのか。表に見えるものが似ているように見えても全然それは違う。

狙って書かれたもの、狙って作られたものってのはそれがわかってしまった時点でつまらなくなる。本当に上手い人はそれすらわからない発信をする。自分は、狙うことに面白みを感じないので、すべての投稿を素で書く。

書きたいように書いた記事から「自分らしさ」が見えてくるとしたら、それ以上は何もいらないですね。
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