自分以外の存在が薄いブログが好き
このブログには自分以外の人物というのが薄っすらとしか登場しない。
これは昔から好きなタイプのブログに共通しているところから来ているのかもしれない。
情報の偏りを避けるために好き・嫌いに拘らず色々なブログには目を通しているのですが、あんまり「彼女のこと」だとか「友人のこと」だとか、他者が出てくるブログっていうのは好きではないようだ。ただ、これには例外があってその登場人物のことを自分が事前に知っている場合は該当しないようだ。
自分が基本的に使うのは2番。3番のパターンもあるけども、1番を選択してしまうとメインの内容がラーメンなのか友人のことなのかよくわからなくなってしまう。
SNSでは1番のタイプが共感しやすいのはわかるのですが、ブログっていうのは不特定多数に読まれるものであって、大体の場合は読者は共通の友人を持つ知り合いではないと思う。
1番のタイプで文章を書く人というのは、他人の存在を軽視しているのではないかという不安。書かれた人について了承を取っている場合はいいと思うのですが、自分の文脈の中にその人が登場することによって、書かれた側は意図しない状況で一緒に行動していたという事実が伝えられてしまうわけです。
それは友人にしても、彼女にしても、自分の子供にしてもそうです。
これはポジティブなことを書くにしても気をつけなければいけない問題で、自分がポジティブに思ったからといって相手が同じ感情をもっているとは限りません。
自分のブログでは自分のことは自由に書いては良いと思うのですが、誰かのことをそこに書く自由っていうのはないと思うんです。だから、自分はきっと結婚したとしても、子供が出来たとしても、とても仲の良い友人のことを書きたくなったとしても、ブログというツールの中ではいつも存在をボカし続けるんだろう。
これは昔から好きなタイプのブログに共通しているところから来ているのかもしれない。
情報の偏りを避けるために好き・嫌いに拘らず色々なブログには目を通しているのですが、あんまり「彼女のこと」だとか「友人のこと」だとか、他者が出てくるブログっていうのは好きではないようだ。ただ、これには例外があってその登場人物のことを自分が事前に知っている場合は該当しないようだ。
1. 自分は 友人(名前) と ラーメンを食べにいってきた
2. 自分は 誰か と ラーメンを食べにいってきた
3. 自分はラーメンを食べた (写真は2つ)
自分が基本的に使うのは2番。3番のパターンもあるけども、1番を選択してしまうとメインの内容がラーメンなのか友人のことなのかよくわからなくなってしまう。
SNSでは1番のタイプが共感しやすいのはわかるのですが、ブログっていうのは不特定多数に読まれるものであって、大体の場合は読者は共通の友人を持つ知り合いではないと思う。
1番のタイプで文章を書く人というのは、他人の存在を軽視しているのではないかという不安。書かれた人について了承を取っている場合はいいと思うのですが、自分の文脈の中にその人が登場することによって、書かれた側は意図しない状況で一緒に行動していたという事実が伝えられてしまうわけです。
それは友人にしても、彼女にしても、自分の子供にしてもそうです。
これはポジティブなことを書くにしても気をつけなければいけない問題で、自分がポジティブに思ったからといって相手が同じ感情をもっているとは限りません。
自分のブログでは自分のことは自由に書いては良いと思うのですが、誰かのことをそこに書く自由っていうのはないと思うんです。だから、自分はきっと結婚したとしても、子供が出来たとしても、とても仲の良い友人のことを書きたくなったとしても、ブログというツールの中ではいつも存在をボカし続けるんだろう。
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