選択するということは実はシンプルではないかという考察

物事には自分にとってメリットとなる要素と、デメリットとなる要素があると思いますが、これを経済的な部分以外にも精神的な理由でも当てはめていくと、全ての選択はメリットがデメリットを上回った時だけ成立するのではないかと考えています。

最近考えているけど頭のなかが迷子になってよくわからないことで、この仮定があってるかもわからない。

自分にとって選択することが、後々のリスクに繋がる場合は、メリットとデメリットを精査する作業を意識的に行うが、選択することでリスクがない場合はそれは無意識で行われている気がします。

例えば「行動しない」ということを選択するのは、現状を維持することで変化しないだろうと安心するというメリットが、行動して何かを失うかもしれないという未来不安のデメリットを上回るから。

当たり前に行っている選択も、経済的にお金が減る だったり 時間を消費するというデメリットを上回るだけの効果があるからメリットがあると見込んで選択していることが多いような気がします。

たくさんの検討材料があって、それを意識的に または 無意識で組み立てた結果、自分の中で選択・判断しているのではないのかなぁと仮に考えるとすれば、メリットに属する評価基準と、デメリットに属する評価基準の統計をとって共通の行動パターンを割り出すことができたら、もしかして自分という人がどこに重みをおいて行動しているのかがわかるのではないかと思いました。

無意識レベルのことを意識的に考えるっていうのはすごく難しいですが、それを掘り出すことができたなら、より自分という人間が理解できそうな気がします。



ただ、この考え方でいけば後先を考えずに行った選択というのはこの法則には当てはまらないんですよね。例えばストレスが溜まっていて相手を怒鳴ってしまった時。

この状況で「怒る」ということを選択するのに、相手に対して自分が苛立っていることを見せて状況を理解してもらうというメリットがあることはわかりますが、感情的になってしまった選択には、メリット・デメリットを考えているという様子は見られない気がするのです。もし、意識的にこのあたりがコントロール出来る人であれば「怒る」という行為にはならず、今後の行動を想像して、穏便に解決する方向で話をしそうなものです。

自分はあまり人を怒るという選択をしません。感情的になってもそれは中身がなく、自分の意見を押し通したいだけです。人はみんな違うということがわかれば、解決法はほかにあるはずです。


ここまで書いてなんだかシックリこないんだけども「選択すること」についてわかりやすく書いてる書籍かなんかはないんだろうか。選択することは考察したようにここまでシンプルに成立することではないのか、実際にはここまでシンプルに行われていることなのかが気になる。

【追記】

シーナ・アイエンガーの選択の科学 という本がなんだか自分の考えていることに近そうなので後で読んでみたいと思います。

選択の科学
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