ミニマリスト という 曖昧な言葉

ミニマリストっていう言葉は何かのことを表すようでいて、とても曖昧な言葉です。

「ミニマリストを目指す」っていうのは良いのだけど、「ミニマリストな生活はこうである」と言われてもそれは正解であって正解ではないと思います。

ミニマリストっていうのは、個人個人で求める最小限の形を追求すること。だから最終的な答えが一緒になるわけがないのに、その答えを他の人の行動から当てはめようとするのはそもそもおかしい話です。

ミニマリストは自分自身と向き合って自分が必要とするものを取捨選択しながら、時には今あるものを手放して別の物を買い直したり、突き詰める作業の延長上にあります。元々所有することに興味がなかったため、手放す作業はまったく苦になりませんでしたし、所有するモノの量はすぐに減っていきました。

身の回りの物がどんどん洗練されていく過程で、今まで気づかなかった素敵な視点を再発見したりすることに意味がある、自分はそう思っています。だからミニマリストっていう言葉は物の少なさに着目するものではなく、内面の変化が大事なのです。

日常生活を見てみると、なぜそれを自分はやっているんだろうと思うことは山ほどあると思います。それはモノを所有することもそう。日々の習慣もそう。ミニマリストの突き詰める感覚っていうのはもしかしたら子供の頃に「なんで?なんで?」って聞くあの延長上にあるのかもしれません。

元々何でも極めようとする方向で趣味をやってきた自分がミニマリストに憧れるのは、あれもこれもやろうとしてどれも中途半端で満足することの出来なかった過去からの反動で、負の感情を「求める方向」から「求めない方向」に180度シフトして加速しただけ。

「無」といっても自分の求める最小限がそこにある生活には、前には感じることの出来なかった余裕が間違いなく存在していて、余裕がある生活を送っていると些細なことに楽しさを感じられるようになりました。

シアワセを感じるレベルをさげる、これってミニマリストになったことで気付けた最大の利点。

これからも最小限と向き合うことで出てくる内面の変化を楽しみたいと思います。

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