自分にとっての幸せのカタチとは

実は母が本当にしたかったことは
「毎日家でのんびりテレビでも見て過ごすこと」
だったのだ、と最近になってわかったのです。そう、母は実はずっとやりたいことをやっていたのだ、と。

ささやか過ぎる平凡な人生は退屈か。 (カリッとした毎日。)



この文章が素敵で数日前から何回も読んでいます。

幸せのカタチというのは人それぞれ違っていて、世間一般で良いとされるものを中心に考えてしまうこと自体が判断を狭めてしまう。

自分が生活する中で、無意識のうちにその行動を選択するかしないかという判断基準があって、結果として心地良い過ごしやすい空間が出来上がっていくのだと思います。

知らないことを知るのが楽しいという自分にとってはインターネットの世界は何十年やっても飽きない魅力あふれる世界であり、ブログというツールで何かを書いたりするのも、その魅力ある世界に関わりたいというところからくる行動の一つなのかもしれません。

インターネットで知らない情報に向き合っているときって本当に楽しくて、その情報を頼りに行動して経験した時に感じるあの感覚も大好きなんだと思います。12年間くらいテレビを見ていないんだけど、その代わりにインターネットに長時間触れている自分。一般的に言われる幸せとは程遠いのかもしれませんが、自分にとっては幸せな時間なんですよね。

幸せのカタチというのはきっと、年齢を重ねるごとに変わっていくでしょう。
変化を楽しみながら、自分にとっての幸せのカタチを考えながら生きていきたいなぁ。
関連記事

このページのトップに戻る

コメント

名前
メールアドレス(任意)
WEBサイト(任意)
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップへ戻る