最近気になったブログ記事 2014/03/14
自分は人を見下してるわけじゃないし、自分を押し付けたいわけでもない。自分のことをスゴイだなんて思ってないし、どちらかというと卑下してしまう。でも、実際交流するとなんか勘違いされてしまうんだよね。自分がどうありたいかを明確に生きているだけなのに、それは交流の妨げとなってしまうようです。生きるって難しい。
文字の大きさが変わるのはいいのですが、下線が消えるということがこんなにも違和感を感じさせることだとは思わなかった。下線を消すのであれば検索結果同士のマージンをもう少しとって離すべきで現状の新デザインはものすごく見づらい。
『いっそ、ネットがないほうが「今やるべきこと」が見えやすくなるんじゃないか?って思えてきた。』
この感覚は普段から情報を掘り出すことが趣味な自分でも感じたことがあります。自分の場合は正確にいうとSNS。SNSを完全に遮断して生きることができたら多分今とはまったく違う人生を歩める気がするのですよね。それによって失うものも大きすぎるけども、そもそもSNSがなかった時代もあるわけで、自分はその世界にのめり込み過ぎた気がするのです。
自分はこのような考え方をします。作品とその周りの背景はまったく繋がりを求めずに考えます。
自分の場合は音楽が大好きで色々なものに触れようとしますが、事前情報というのは邪魔でしかありません。「どこの国の人で」「何人組で」「どんなジャンルで」「どういう人に影響を受けて」というのは知っていても直接作品の良さには関係のない部分です。それで作品の良さが変わってしまうとしたら、自分がその事柄を重視しているということです。
美味しい食べ物屋にいったのに接客が悪いと店の評価が下がってしまいます。それは物事を総合判断しているからであって、本来「美味しかった食べ物」と「接客が良くない」というのは切り離して考えるべきだと思うのです。最終的に総合判断するのは構いませんが、その切り離して考えた内容を出さずに評価しても何の意味もないのです。
大概深く考えてないんです。自分は色々考えるの好きですけどね。
ブログを見ていると面白いもので、日本国内の北と南での季節の変わりの違いを感じることができます。地元だと桜は5月ですからね。
『ひとまず、「この人が、こう言った」というのは事実なのだから、そこに前提を持ってきて、Whyを考えるべし。』『自分が何気なく発した言葉にも、多大な意味が込められている』
まさにその通りで言葉というのはその人の人生観 (ちょっと大袈裟)があってこそ出てくるものだと思います。常識とか言われるのも同じで、生きてきた環境が違えば常識も異なるのです。「なぜそういう発言をしたのか」というのを常日頃から考えるのはとても疲れることでもあるし、下手すれば人間不信になることだってあるのだけど、苦しくない範囲で予測を立てて、そこから自分を正していくというプロセスは大事だと思う。
期待するからイラめいたり、喜んだりするもんで、感情をいい意味でも悪い意味でも揺さぶるのは「他者への期待」だと思う。上のあっそとしか言えない豆知識でも書いてたけど、大概人は深く考えてないから、他人期待することは自分にとって縛りになる可能性のほうが高いけどね (期待しても何も起こらない)
音に対するコダワリに深く共感できる作曲家といえば「冨田ラボ」の名前は真っ先にあがるであろう。絶妙なストリングスワーク、引き立たせるところと、主張しないところのバランスの良さがいつも伝わってくる。ボーカル陣に児玉奈央(Voice)/さかいゆう(Voice)/bird(Voice)という3人を選んだあたり、良い気しかしない。このライブ音源がCD化になればいいですね。
安いですね。50GBで月1ドルくらいのプランが出たら爆発的に契約するユーザー増えそうです。
自分結構ぶち壊したくなること多いんですよ。ブログだけはそういう感情が一切ないのですが、日常生活ではよくあること。あんまり良くない感情なんですけどね。
Google、検索結果ページの新デザインをテスト中―リンクの下線が消え、広告にラベルが付き、フォントも変更 (TECHCRUNCH JAPAN)
文字の大きさが変わるのはいいのですが、下線が消えるということがこんなにも違和感を感じさせることだとは思わなかった。下線を消すのであれば検索結果同士のマージンをもう少しとって離すべきで現状の新デザインはものすごく見づらい。
情弱がネットを使うと、選択肢が無限にありすぎて集中できなくなる。 (ハルツグの日記)
『いっそ、ネットがないほうが「今やるべきこと」が見えやすくなるんじゃないか?って思えてきた。』
この感覚は普段から情報を掘り出すことが趣味な自分でも感じたことがあります。自分の場合は正確にいうとSNS。SNSを完全に遮断して生きることができたら多分今とはまったく違う人生を歩める気がするのですよね。それによって失うものも大きすぎるけども、そもそもSNSがなかった時代もあるわけで、自分はその世界にのめり込み過ぎた気がするのです。
作品と作者は切り離して評価することはできるのかって話 (ネットの海の渚にて)
自分はこのような考え方をします。作品とその周りの背景はまったく繋がりを求めずに考えます。
自分の場合は音楽が大好きで色々なものに触れようとしますが、事前情報というのは邪魔でしかありません。「どこの国の人で」「何人組で」「どんなジャンルで」「どういう人に影響を受けて」というのは知っていても直接作品の良さには関係のない部分です。それで作品の良さが変わってしまうとしたら、自分がその事柄を重視しているということです。
美味しい食べ物屋にいったのに接客が悪いと店の評価が下がってしまいます。それは物事を総合判断しているからであって、本来「美味しかった食べ物」と「接客が良くない」というのは切り離して考えるべきだと思うのです。最終的に総合判断するのは構いませんが、その切り離して考えた内容を出さずに評価しても何の意味もないのです。
すこぶるどうでも良くて「あっそ」としか言えない豆知識 (自省log)
大概深く考えてないんです。自分は色々考えるの好きですけどね。
河津桜 三浦海岸2014 (素顔のままで)
ブログを見ていると面白いもので、日本国内の北と南での季節の変わりの違いを感じることができます。地元だと桜は5月ですからね。
自分は本当に人・物・事の本質を見ることができているのか? (はてな匿名ダイアリー)
『ひとまず、「この人が、こう言った」というのは事実なのだから、そこに前提を持ってきて、Whyを考えるべし。』『自分が何気なく発した言葉にも、多大な意味が込められている』
まさにその通りで言葉というのはその人の人生観 (ちょっと大袈裟)があってこそ出てくるものだと思います。常識とか言われるのも同じで、生きてきた環境が違えば常識も異なるのです。「なぜそういう発言をしたのか」というのを常日頃から考えるのはとても疲れることでもあるし、下手すれば人間不信になることだってあるのだけど、苦しくない範囲で予測を立てて、そこから自分を正していくというプロセスは大事だと思う。
「他者に期待しない」って難しい (Heartlogic)
期待するからイラめいたり、喜んだりするもんで、感情をいい意味でも悪い意味でも揺さぶるのは「他者への期待」だと思う。上のあっそとしか言えない豆知識でも書いてたけど、大概人は深く考えてないから、他人期待することは自分にとって縛りになる可能性のほうが高いけどね (期待しても何も起こらない)
冨田ラボ LIVE -INSTRUMENTS & VOICES- (LIQUIDROOM)
音に対するコダワリに深く共感できる作曲家といえば「冨田ラボ」の名前は真っ先にあがるであろう。絶妙なストリングスワーク、引き立たせるところと、主張しないところのバランスの良さがいつも伝わってくる。ボーカル陣に児玉奈央(Voice)/さかいゆう(Voice)/bird(Voice)という3人を選んだあたり、良い気しかしない。このライブ音源がCD化になればいいですね。
安いですね。50GBで月1ドルくらいのプランが出たら爆発的に契約するユーザー増えそうです。
自分結構ぶち壊したくなること多いんですよ。ブログだけはそういう感情が一切ないのですが、日常生活ではよくあること。あんまり良くない感情なんですけどね。
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コメント
面白く見させてもらいました。
ありがとーう!
いろんな考えや価値観に触れることで、
逆に自分が見えてきて、面白いなぁ。
>> sankau さん
見ての通り考えるの好きな人間なのですが、こういうの面倒くさいと避けられることがリアルでは多いのです。
楽観的に生きるのも一つではあると思うのですが、自分は考えて行動したい、そう思います。