ローカルで生き残るお店から考える、それぞれの良さ

近所に、古くから営業する小さな商店があり、そこにはお菓子やカップラーメンなど、日持ちするものが並んでいます。スーパーやディスカウントストアに比べれば数十円単位で値段が高いので、利用する頻度も少ないのですが、寄ることができる機会があれば利用しています。

お菓子の賞味期限を見ると、かなりギリギリで、店内の同商品の在庫量を見ると、あと少しで到来する賞味期限後に、ほとんどが廃棄になってしまうレベルで、物が売れていない。

賞味期限が切れるまで、物が売れないこと、個人商店には最小ロットでも量が多すぎること。その地域での需要が減少していること。たった、一つの出来事だけでいろいろなことを想像してしまいます。

多分、昔は売れていたのだと思います。街に子供がいて、その子供がお菓子を買いに来て、家族で楽しい時間を過ごす光景が見られたのでしょう。実際に売れ残ったとしても、その商品を仕入れて売り続けるというのは、商売で儲ける以上に価値のあることなのかもしれません。

自分の子供が帰省し、孫を連れて戻ってきたときに、かつて利用していたであろう商店が変わらず存在している。また、いつも利用してくれているお客さんが稀にその商品を買い求める可能性がある。他にはどんな可能性が考えられるのだろう。

実際に商売をしている側ではないので、その真意までは読み解くことはできませんが、「数十円高いこと」で、その場所が選ばれなくなってしまうこと、変化に適応できなかっただけで置いていかれてしまった という事実がなんだか寂しい気がするのです。

自分もまったくコスパを意識しない人間ではありませんから、特売品があれば同じ店内でも比較検討して物を選びますし、あえて同じ商品を高い状況で買うことはありません。簡単に比較検討できるようになったからこそ、その比較検討の裏で淘汰されてしまう人がいる状況は変えられるものではありませんが、人と人が気持ちで繋がり合っていた感覚は、どんどん薄くなっているのかもしれません。

技術が進歩することは大歓迎ですし、それで今まで行っていた生活がもっと良いものになるならそれを取り入れたいと思います。でも、自分はやはりローカルで存在する "昔ながら" というのが大好きなのです。新しいものが生まれるには、昔の人が自然とおこなってきた行動の中にある本質的なものが隠れている気がしますし、その存在を抜きにして「楽をすること」「コストが低いこと」だけで喜ぶようになってはいけないと思うのです。

「価格が安いこと」というわかりやすい項目だけで比較すれば、昔ながらのお店にはメリットはありません。でも、それをもっと別の見方をすることができれば、新しい価値が発見できるのではないでしょうか。自分の中にある狭い判断基準を理解し、柔軟に広げられることができれば、今まで興味を持たなかったことにも、「それぞれの良さ」を見つけ出すことが出来そうです。


自分は消費者として地域に関わることしか出来ませんが、そこに存在することを書き続けて見えるようにするという行為が、地域に対しての恩返しのようなものになるんじゃないかと思います。

拾った情報からなにかアクションを起こすのは、あとは個人に委ねられる部分。良い・悪いの判断もこちらから押し付けるものではない。こちらからも (基本的に) オススメはしないし、気になったら自分でその先を考えてみたらいい。

良いと感じることがすべての人で同じになるわけがないからこそ、ローカルでも生き残るお店があるわけですよね。それぞれの良さを発見できる人が増えたら、もっと隠れた魅力が表に出てくるんじゃないかなぁ。
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