問題とも思っていなかった問題を意識すること
衣類に不快な生乾き臭がついてしまったときの対策
室内に夏場に不快な飛ぶ虫 (網戸を通る小さいもの) をいれないための対策
こんな単純なことに気づくまでに相当時間がかかっており、普段生活する中から解決する何かが生まれるためには、問題を認識する必要がある。問題を問題でないと認識している以上は、そもそも問題ではないので、解決しようと思わないのだ。
例えば虫を入れないための対策としては、虫が嫌がる殺虫剤のようなものを常備しておくという発想になるだろうけど、根本原因を考えることはあまりしない。虫が来るのは "当たり前" という前提で考えている。
衣類が不快なニオイがするのは雑菌が根本原因で、洗浄しただけで取れないから、最初は漂白剤を使っていたのだけれど、熱湯消毒のほうが効果があることが最近わかって、バケツに熱湯を張って使うことが多くなった。バケツは一人暮らしだと小さいもので良いと思っていたけど、様々なシチュエーションに流用できることから、ある程度大きめのほうが良いと思う。ニオイがつく原因にはいろいろあると思うけど、洗濯物を洗ったあとにすぐに干さなかったり、旅行にいって数日洗えなかった衣類でなる傾向にあるように感じる。
ミニマリスト思考に深く共感し、自分はとにかく物が少ないのだけれど、物が少ないことは "自分にとって" 心地よいことであるのは間違いない。物が少ない状況では、気にかける事柄はどんどん少なくなっていくために、ストレスが減少する。その中で、見つけにくい問題 (小さなストレスからの改善) を発見するには日々気を張っていなければいけないような気がする。
ある段階をすぎると、捨てるものもなくなるし、現状を最適だと思うタイミングに切り替わるのだけれど、そのタイミングを過ぎても最適を極めようとすると、終わりのない完璧を求める方向へ行くような気がして、それはそれで苦しいような。
元々は、完璧主義みたいなところがあって、「こうしたい」という強い欲求を元に、現状がそうなるように行動するタイプの人間だったのが、最近は「こうしたい」という欲求が限りなく少なくなってきている。ミニマリスト思考を常に手元に置くことで、欲自体に魅力を感じづらくなっているのかもしれません。
なぜ、完璧主義みたいなところがあったか振り返ってみると、自己肯定感が非常に低いからじゃないかと思う。自分が不完全で、そこに存在意義を作らなければ、存在していてはいけない みたいな部分が昔っからあって、それを補うためになにか熱中するものを作って、人よりも少し語れることを作る。十数年書き続けているブログも実は、そういう弱い部分を補うために存在するのかもなぁと思ったり。
自分があるようで、自分がないのが自分なのかもなぁ、と
問題とも思っていなかった問題を意識することで、また思考を繰り返していくのです。他者の意見を聞くことは楽しいし、思考するのも大好きだけれど、その流れ自体が、自己肯定感や卒業しかけの完璧主義に影響を与えているのかもしれません。
思考することは、考えを深くしていくこと。良くもあり、悪くもあるのかもなぁ。
全然書いていてまとまらないけど、数年後読み返してなにか気づきがあるかもしれないので、こんなもんで。
熱湯消毒 → 漂白剤 → 洗浄
室内に夏場に不快な飛ぶ虫 (網戸を通る小さいもの) をいれないための対策
室内を外よりも明るくしない ※真っ暗にする
こんな単純なことに気づくまでに相当時間がかかっており、普段生活する中から解決する何かが生まれるためには、問題を認識する必要がある。問題を問題でないと認識している以上は、そもそも問題ではないので、解決しようと思わないのだ。
例えば虫を入れないための対策としては、虫が嫌がる殺虫剤のようなものを常備しておくという発想になるだろうけど、根本原因を考えることはあまりしない。虫が来るのは "当たり前" という前提で考えている。
衣類が不快なニオイがするのは雑菌が根本原因で、洗浄しただけで取れないから、最初は漂白剤を使っていたのだけれど、熱湯消毒のほうが効果があることが最近わかって、バケツに熱湯を張って使うことが多くなった。バケツは一人暮らしだと小さいもので良いと思っていたけど、様々なシチュエーションに流用できることから、ある程度大きめのほうが良いと思う。ニオイがつく原因にはいろいろあると思うけど、洗濯物を洗ったあとにすぐに干さなかったり、旅行にいって数日洗えなかった衣類でなる傾向にあるように感じる。
ミニマリスト思考に深く共感し、自分はとにかく物が少ないのだけれど、物が少ないことは "自分にとって" 心地よいことであるのは間違いない。物が少ない状況では、気にかける事柄はどんどん少なくなっていくために、ストレスが減少する。その中で、見つけにくい問題 (小さなストレスからの改善) を発見するには日々気を張っていなければいけないような気がする。
ある段階をすぎると、捨てるものもなくなるし、現状を最適だと思うタイミングに切り替わるのだけれど、そのタイミングを過ぎても最適を極めようとすると、終わりのない完璧を求める方向へ行くような気がして、それはそれで苦しいような。
元々は、完璧主義みたいなところがあって、「こうしたい」という強い欲求を元に、現状がそうなるように行動するタイプの人間だったのが、最近は「こうしたい」という欲求が限りなく少なくなってきている。ミニマリスト思考を常に手元に置くことで、欲自体に魅力を感じづらくなっているのかもしれません。
なぜ、完璧主義みたいなところがあったか振り返ってみると、自己肯定感が非常に低いからじゃないかと思う。自分が不完全で、そこに存在意義を作らなければ、存在していてはいけない みたいな部分が昔っからあって、それを補うためになにか熱中するものを作って、人よりも少し語れることを作る。十数年書き続けているブログも実は、そういう弱い部分を補うために存在するのかもなぁと思ったり。
SNSで見かける人々を「一人の個人」として見て、勝手に落ち込んでいた話。 - ミニマリスト日和
生活に正解はあるのか? - ぎふかいろ
自分があるようで、自分がないのが自分なのかもなぁ、と
問題とも思っていなかった問題を意識することで、また思考を繰り返していくのです。他者の意見を聞くことは楽しいし、思考するのも大好きだけれど、その流れ自体が、自己肯定感や卒業しかけの完璧主義に影響を与えているのかもしれません。
思考することは、考えを深くしていくこと。良くもあり、悪くもあるのかもなぁ。
全然書いていてまとまらないけど、数年後読み返してなにか気づきがあるかもしれないので、こんなもんで。
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