「日々の生活が改善されること」 の先にミニマリスト

「日々の生活が改善されること」を常に考えているから、その先に興味があるものとしてミニマリストという言葉が出てくるんですよね。

日々の生活水準が上がることではなく、日々行っていることがもっと楽に出来る。そこに興味があるのです。

FinTechにしても、IoTにしても、最新のカプセルホテルにしても、14nmプロセスCPUにしても、旅行慣れしている人にしても、すべてに共通するのは、最適化したゆえに得られるメリット効果が大きそうっていうところへの興味なのでしょう。



今は乱立している電子マネーが統一の流れにもしなったとして、日常のあらゆる支払いがスマホのQRコード経由で出来るようになったらどれだけ便利だろう (FinTech)

データを蓄積していって部屋に戻るたびにセンサーが感知して、あらゆる制御をしてくれたらどんなに便利だろう (IoT)

人はどれだけの設備があれば快適に寝られるということを本気出した形が最新のカプセルホテル。無駄は一切ありません。

CPUが高密度で実装できれば消費電力が下がって、バッテリー容量に対してもっともっと電池が持つようになるかもしれない。そうなったら今売っているモバイルバッテリーは市場からすべて消え去るかもしれない。外出先でバッテリーを気にする必要がなくなる。

旅行慣れしている人は、小さなパッキングを行う。外出先でどのような荷物があれば不自由しないか検討して考えられた最小限です。



もし、将来電化製品からケーブルがなくなったとしたなら、それは快適でしょう。今ですら通信は無線で飛ばせるのだから、技術が進歩すれば高出力の充電も人体に害がないように広範囲に飛ばせる技術が普及するかもしれません。無接点充電っていう既存技術もありますよね。

デジカメのセンサーは大型化の方向へ向かっていますが、光学的制約をどこかでカバーできるほどセンサーが進化するかもしれません。




こういう生活を考えただけで自分はワクワクするし、最適化を考えるためには最小限を認知していなければいけない。最小限がわかったうえで、それが成立する要素が初めてわかる。その上に乗っかるものはすべてがディテイルに影響する部分であって、それが成立するかには関係がない。

なぜ、それを保持するかを考えた時に、生活の範囲外に他人が存在することはかなりの影響を及ぼす。最終的にそこがネックとして手放せないものが出てくると思うのですが、それを実感として理解することは最小限を考える上ではさらに面白い感覚だと思います。

物を減らすことが大事なのではありません。あくまで、「日々の生活が改善されること」が大事なわけです。物を減らさずにして考えることはできると思いますが、自分はそこまで頭がよくないので、最小限が見えない状態で、改善を考えることが出来ません。

仕事でも同じです。今議論していることの本質はどこにあるのか。一つ辞めればツリーの下部はすべて解決することがあるならば、そのツリーの上部を探し出す作業は必ず必要です。様々な子要素に騙されて親が見えなくなると、問題は解決したように見えても、またそこから問題が生まれます。やはり最小限を意識することは大切なのだと自分は考えています。

考えることは終わりがなくて、いつでも楽しいですね。
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