スタンダードを考えること

現在、押入れデスク生活をしておりますが、そもそもこれは想定された使い方とは違うものです。

押し入れはテーブルとして使うものではありませんので、中に入れたものが見えないように扉があります。それをデスクとして活用すると、使わない扉が出てくることになります。

テーブルを買わなくても生活できるなら、押し入れをデスクにすれば十分じゃないかと思ってこれまで利用していたのですが、よくよく考えてみると、車の冬タイヤなど、部屋の一角に棚に収納されていない物がまだ存在するのです。

本来隠すための収納となっている押し入れを開放して、普段使わない目立たないように隠すことが当たり前のものをオープンにしている状態。実にこれは滑稽ではないか、と。「テーブルを増やしたくない」という小さなことに影響されて、全体が見えていないような気がします。ここで、タイヤを捨てられたらとまず真っ先に考えるのですが、さすがに雪国でそのような生活は難しい。

たとえ今の押し入れを物を保管する用途に変更したとして、部屋のスペースは余りまくっているので、余剰スペースが増えることで今の生活が格段に良くなるわけではありません。

ただ、本来のスタンダードな使い方には理由があることを見直すと、物を少なく暮らしたいという偏った視点で凝り固まった価値観を是正する効果があるんじゃないかと思います。

「スタンダードを考えること」 これは、スタンダードを疑うことでもあり、スタンダードとは何かを突き詰めることでもあります。常に誰かが定義したスタンダードがあって、そことのズレがどれほどあるか、どういう偏りがあるか。それが見えてくると、もっと楽しいのではないでしょうか。

偏った個性を狙ったつもりが、結局スタンダードに着地することもある。スタンダードには選ばれる理由があるのだと思います。もしかしたら、選ぶ強い理由がないから選ばれるのかもしれません。人に自分の考えや伝えたいことを理解してもらうためには、「単純化」して伝える必要があると思いますが、単純化された情報ばかり読んだり聞いたりしていると、スタンダードとはなにかという理解からも遠のくんだろうなぁと。

ミニマリスト思考の人が、しっかり納得する理由を考えたうえで「取捨選択」をして、もしスタンダードに落ち着いたとしたら、それはそれで興味深いですよね。

思考停止せずに、常に疑問に思うこと。それでたどり着いた先が自分の好みに最も近いものなのでしょう。
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