住む ということに関してあんまりコダワリがない

アパートで一人暮らしをして "住む" ということに関してあんまりコダワリがないことが、自分の中で認識できたような気がします。"暮らす" ことにはすごく興味があるんですけどね。

様々なものを手放していくと、自分の中で必要なものが厳選されていきます。自分の場合荷物の大半を占めるものが、イベント機材。続いて会社関係のもの。自炊関係のモノが三番目くらいでしょうか。

どれも、今の生活を維持するために最小限保持しているもので、もしその生活を辞めたとしたら、どれも不要になるものでしょう。

住宅 というか部屋というのはプライベートが確保される空間といった認識でしか無く、壁があれば自宅であるか外出先であるかは自分にはあんまり関係がないような気がします。衣服が洗える環境、清潔を保てる状態にあれば、そこがホテルであっても自分の生活スタイルは何も変わらない気もします。

ある一つの拠点に居続けるというのはコスト面などでそちらのほうが安上がりで済むからであって、もしお金に縛られない生活ができるのであれば、自分は家に住むということに縛られない生活を模索するかもしれません。でも、自分は仕事に関しては安定を求める部分があるので、パソコン一つで生計を立てるようなことは考えられないんですよね。


これでも10年ほど前は一軒家がほしいと思っていたことがあって、住宅関係の本を眺めながら理想の住まいを想像していたのです。一軒家で暮らすことのメリットばかり考えていた10年前、今では自分には所有することによって縛られるデメリットしか想像できなくなってしまいました。物を持たない生活というのは考え方をガラッと変えてしまいます。

今でも雑貨を見るのは好きですが、見るのが好きだから買うかどうかは別になりました。オシャレな雑貨で身の回りを固めたとしても、生活の中身は変わっていないのです。それを見て美しい、素敵だと思う感覚は失われていませんが、所有するとやはりモヤモヤしてしまうときがあるので、買うものは厳選するようになりました。機能的かつ、美しいものだったら最高なんですけどね。


物を持たない生活をして、面白いなぁと思うのが最初のように物を減らしたい強い欲がないのに、自然と物が減るような行動を自分でとっていることです。ナチュラルな感じで、これは要らないなってなりましてさらに物が減っていく。もう、自分の中で、どんな状況でも人は暮らしていけるのではないかということを感じ取れるようになってしまったのでしょう。

現代では、生活必需品はどこでも手に入ります。田舎でも同様です。必要になったら買いにいけばもうそれで良いですし、自宅に持ち込まなくても利用できるものはガンガン利用すればいいのです。所有しなくてもインフラに頼れば暮らせてしまう。


生きる上で理想のスタイルが無いかと言われたら多分そんなことはなく、自分はどんな状況でもある程度自分の考え方を人に伝えられる人であると思っています。自分はこう思うを主張できることと、曲げたくないコダワリを持つことは実はあまりつながりがないのではないかと、今では思います。

コダワリという言葉は、そのまま受け取れば強い信念に思えるかもしれませんが、案外それは経験を積めば揺らいでしまうことだと思いますし、状況が変わればそのまま持ち続けられるかわかりません。それよりも、今自分がどうしたいか だけ決めておいて、柔軟に目の前の状況に対応するほうが良いのではないかと思うのです。そのためには、精神的にいつも身軽で転がれる状況を作っておくほうが楽です。


自分にとっては、アパートの部屋の中を自分好みにするよりも、ふと思い立った瞬間に宿を予約して旅行に行ける身軽さのほうが大事なわけです。例えば、今より良い部屋が見つかったら引っ越しが1日で終わるような状況を作っておきたい。書類関係も現在ではかなり詳細に把握していますから、手続き関係も素早く終わらせることができそうです。

生活を自分の手の届く範囲に設定することで、ズボラでも生活することが楽になる。こうでなければと自分で制約を設けなければ、もっともっと楽に暮らせるはず。

常に考え続けて、行動しているのを適当とは言わないのかもしれませんけど、自分の生活は昔よりはずっと自分好みにシフトしているのを感じます。こんな感じで、日々ゆるく生活できたらいいね。
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