自分の話したいことは共感されにくいことを理解する

自分がこれが好きでテンションがあがっていますといっても、それは他人にとってテンションがあがるものではないことが多いのでしょう。自分のコンテンツに共感を得られないことよりも、他人が上手く共感を得られていることに妬みまではいかない悔しさのようなものを感じているのかもしれません。全員に理解されなくてもいいけど、そのうちの誰か一人に理解してもらいたい欲はある。このあたりの基準が曖昧で、自分自身で自分のことを面倒くさい人間だなぁと思う原因の一つになっています。

それでも、自分が書きたいことを曲げてまで共感してもらう、わかってもらっても嬉しくない表面的な部分だけ話すことに意味があるとは思わないし、そんなことをしても満足できない。自分が話したいのはもっともっと深い部分。

日に日に共感を求めない人間になっていくのは、諦めの一種からなんだろうけど、人間不信感が増大していうのは自分で自分をそういう方向へ追い込んでいるからなのでしょう。この人と交流しても、何も自分にとってメリットがないと思いこんでしまうと、そこから交流を積み重ねようとしなくなってしまう。それは相手からしても同じはずで、お互いそう思っていれば交流が上手くいくなんていうのはありえないというのもわかっています。

人間関係を上手く構築するというのは、相手に対して興味があるというのを表に出した関係を維持できることはないかと思っていて、多数あるコマのうちの一人のような感覚で交流されても自分みたいにひねくれた人間は心に響きません。今でも交流している数少ない友人たちは距離感が実に上手く取れています。近すぎず遠すぎずで、積極的な交流がなくとも良いと思えるくらいの信頼感。

前向きに考えるために、共感を得られる人の話し方にはどんな特徴があるかと考えてみると「~で楽しんでます♪」とか「~は最高♪」などという前向きな表現が多い。自分は「~はとても良いと思う」「~は素晴らしい」など文章がかたい。テンションがあがることが感情表現のすべてだとは思っていなくて、テンションがゆるやかに上昇したときもそれは好きなことだったり伝えたいことだったりするのですが、一般的にわかりやすく共感できないとそれには共感されないのかもしれません。

まーこんなこと書いてあれなんですけど、共感されることを考えるのが面倒くさくなってきたので、今後SNSの使用はどんどん減っていくのだろうと思います。長文書いても読みたい人しか読まないブログに書けば誰の迷惑にもならないし、SNSを使う生活からはどんどん離れていくのではないかと思います。そこに構築し続けたい関係というのは自分にとってはもうないのかなぁという感じです。
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