理由をつけて目の前のことに向き合わないのは機会損失

それって機会損失ですよね?

その理由がしっかり自分の考え抜いた結果からであればいいけど、なんとなくそう思っているから検討すらしないっていうのは勿体無いように思う。

そうやって自分の視野を狭め、固定した方向からしか物事考えられなくなる。

偏った見方や考え方をするようになると他人の意見を許容できなくなりがちだと思う。

バックグラウンドがハッキリしていないなんとなくの理由から視野を狭めた意見は、共感するには弱い。理屈で固めるのが良いとは言わないけど、穴だらけ。

多面的に成り立っているだろう物事を決めつけをしないように、「自分はこう思うけど、相手が別の意見にたどりついても構わない」と広い心で思えるように、思考することはやめてはいけないと思う。


話は変わるが最近気になったことがある。

「常識的に考えて」という言葉を多用する人って、常識という曖昧な言葉の意味を深く考えているのだろうか。

個人的な感情を「私たちが」のように発言することで、発言に力を持った気になっていないだろうか。

常識は、統計的に見て大多数の意見で、空気を読み合って自然に行われていることだと思うのだけど、常識を楯に討論しようとすると、自己正当化のためにその言葉を利用している感じが強く見えるんですよね。

「自分がこう感じた」ということをウヤムヤにして会話すると、そこには強い肯定理由がない気がする。人を惹きつけたいなら自分の言葉で話してほしい。


自分の意思で行動すること。何よりも大事にしたいな。
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