情報に迷うことは楽しみだと思う

最近こういう考え方が少なくなっているなぁと思うのは自分だけだろうか。

すぐにわかるようにまとめられた情報が重宝され、自分に合うようなニュースがピックアップされ、結局自分の好みにあったところしか見なくなる。

情報に迷って、その書かれていることから必要なことと不必要なことを自分で考えて、必要なことを取捨選択していく作業こそ、情報にふれあう楽しみだと思うのですが、誰かがまとめ上げた情報をそのまま受け取るだけで、そこに楽しさはあるのでしょうか。

「こういう時はこうする」っていうライフハックのようなものは、誰かが考えついた最適解なのかもしれませんが、それを自分に適用した時の相性はもしかしたら70%かもしれない。それを70%だと気づいて受け取る分にはいいけども、100%だと思って受け取っているなら実に勿体無いことだと思う。

迷って、模索して、辿り着いた先にあるのがその人の個性にも繋がるもの。すぐに正解にたどり着く必要もないなら、とことん迷ってみればいいと思う。その過程に様々な気付きがあると思う。

このブログは何度でも書くけど、そのまま受け取ってもらうためのブログを目指してはいない。そもそも人気になりたいとか一切考えてないし、自分のコンテンツが面白いだなんても思っていない。

それでも、読む人がここからなんらかの気付きを得られるから読者がリピートして読んでくれるのだと思う。その気付きを感じ取る楽しみを自分は奪いたくないから、お店のことについて書くときに詳細に書かないようにしている。自分自身が、その行動がとても楽しいことだと思っているから。

目の前にある決まったインプットからしか情報を受け取らないのではなく、どんなことでもインプットしてみると、それに対する自分の価値観が明確になってきて楽しい。もし明確にならないものがあったとしたならば、自分がそれについて知識がなく判断できないということです。それを明確にするかしないかは自分の興味次第。詳細についてわからなくても少なくともそれに興味があるかないかはそこでわかるはず。

情報に迷って日々を暮らしているとあっという間に一日がすぎる。自分はそういう無意味に見えて意味のあるサイクルが大好きなのです。
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