なぜミニマリストな考え方に興味があるのか

なぜモノが必要ないのかと言われたら、自分のやりたいこと・趣味がすべてパソコン上で済んでしまうからというのが大きいと思う。

音楽はパソコン、必要な書籍は図書館か電子書籍で購入。必要な読み返すものは複数箇所にバックアップしてデータで保管しているし、紙媒体も最低限保管して置かなきゃないもの以外はすべて保持していない。

筆記用具にシャーペンはなく、ボールペンしかない。家の中では、メモをする紙自体が必要ないので筆記用具も要らない。もちろん会社では紙に書くこともあるけど、自分の所有物ではないですからね。

バッグの断捨離も行って現在では数が減っているし、服もローテーション出来るくらいのものしか持っていない。

昔は無意味にたくさん持っていた、分岐タップや延長コード、オーディオ用コード、変換プラグなども現在は処分してしまって最低限しかない。

モノがないから収納家具というのも最低限で、隠さなきゃいけないものがあるとしたら、隠しているものの価値を再考するべきだと思う。

ミニマリストという考え方に興味があるだけで、記号としてミニマリストになりたいとは思っていないけど、最適・合理化を考えるとそれに近いものになる。「今でもモノを少ないのにこれ以上減らす必要ないのでは?」と思うことは一切なくて、やっぱり無駄なものが自分の生活の中にあると気になってしまう。

車のオーディオをいじっている人にはピンとくると思うけど、ドアのデッドニングをしてスピーカーのビビリがなくなって静かになったと思ったら、屋根とか他のパネルのビビリ音が気になってしまう感じ。ミニマリストは形こそ違えど、所有する・何かを極めるという形が180度逆になっただけで、最適化をするということに執着した生き方であると思うので、一般の方にはオススメしない。曖昧を許さない、白か黒かがはっきりしたもののように思う。


モノを所有しない理由としてもう一つ重要な考え方をもっていることに気づいた。
自分は家が嫌いです。

様々な要因が重なって、現在住んでいる場所は快適ではありません。イメージとしては、仕事が終わってお風呂と睡眠をしに帰るところです。テレビを見たり、まったりしたり、そういう場所とは捉えていません。

ブログは外出先でも書ける。むしろ、そちらのほうがブログを書くことが面白いと思える。外的要因から、文章を書くときのテンションがいつもと違うものになるからです。

部屋という場所に固定され、家という場所に固定され、その中で生活を固定することがなんだか苦痛に思えるのは家が好きでないからだと思うのですが、多分家自体が嫌いなわけでなくて、現時点の生活環境が嫌いなだけだと思うので、根本を変えたらあらゆることが楽しくなって、インドア生活な人間に変わるような気もします。

数年前、ノマドワーカーという言葉が流行りました。あのような生活には憧れがあって、ある固定の場所に縛られない生き方というのは自由さに溢れていると思います。もちろん、そういう生活をするためには費用がかかりますから、十分な収入も必要です。

家にいる時間が少ないのであれば、そこで利用するものは少ないという考え方なんですね。


考えることが好きなのも相まって、最適化について考え続けることは苦痛どころか楽しいことです。それにポジティブ・ネガティブな要因があって、ミニマリストという考え方が気になるようになったのだと思う。
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