変わることに臆病になっていたら、些細なストレスを感じながら生き続ける

今の状態で日々をすごしていくと、興味のあるものが移り変わるものではなく、あらゆることに興味がなくなっていくのが予想できます。

それは生きる上で、これがなくては生きていけないというのを自分が極力排除する行き方を選択しているからで、このままの流れでいくと自分の特徴すらなくなってしまうのではないかと思います。

でも、最近よくよく思うのですが、自分が心からやりたいことであったら無意識でもそれをやり続けるはずで、意識しないとできないレベルまで興味が落ちてしまっているのなら、それは自分を特徴づける前に無理やりやっていることですよね。


自分の興味のあることが、興味をもたないことなんじゃないかと考えることがあります。興味をもたないというより、興味をもっていることを作らない、その時々で反応できる感受性を高めておく。

日常に刺激を与えすぎて、他の人が感動している事例にまったく感動しない。忙しく動き回っていた時期はそういうことが山ほどあった。経験は人を成長させるし、知識があるかないかでは向き合うことの深みが変わってくるとは思うのだけど、目の前のことにしっかり向き合えないというのは、それほど損だと思うことはありません。

今日は雲の流れが早いなぁとか、田んぼに水を張っているのが見えるとか、そういう普通の光景をみたときに心が動く、そういう感覚を維持したい。それには、心の余裕が必要不可欠なんじゃないかと。

興味をもつことが目の前からなくなって影響があるとすれば、自分に対する他者の見方が変わるということだけくらいじゃないかと思います。

「あの人、最近食べ物のことについて書かなくなったねぇ」とか「ブログが最近おもしろくない」とかただそういうことだけ。実際にそういう反応が起こるかどうかは想像の世界でしかないのですが、自分が想像できるマイナスの反応を考えてもそういうことだけで、実際に自分が変化していっていることの結果がそういう評価をされるかもしれないというだけで、自分という存在は変わらない。

ちなみに昔の自分だったら、そういう評価をされることは絶対に耐え難かった。今の自分なら気にしない。

変わることに臆病になっていたら、些細なストレスを感じながら生き続けることになるでしょう。自分は楽しいことがしたい。楽しいことを全力で楽しみたい。そうすると、今まで抱え込んでいたことから執着のようなものがするする離れていくのを感じるんですよね。

自分が楽しいと思うことを維持し続けるのではなく、楽しいと思うことをやっていたらそれが習慣となっていた、そんな自然な流れを大事にしたいと思います。

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