余白時間をあえて埋めない余裕

ちょっと時間が余ったら、そこに何か予定を詰め込もうとするのが過去の自分だった。

今では出来るだけやりたいと思ったこと以外には手を付けないようにし、余白の時間ができたらその余白を楽しむようにしている。

限りある時間の中で何もしない時間を意図的に設けることのできる状況はかなり贅沢なことだと思う。さらに、その状況を余裕があると判断できたとしたなら、それは精神的にも落ち着いていて人生を楽しめているということだと思う。

死ぬまでにあれもこれもやりたいなんて生き方はもう考えることもないし、やりたいと思わない。

断捨離、ミニマリスト的な考えを煮詰めていった結果、それは見栄と偽りのやりたいことだった。本当にやりたいことならそんなことを考える前に行動にうつしている。

やりたいんじゃなくてやっている自分に酔っていたようなそんな感覚。だから些細なところにストレスを感じていたのだと思う。それは本当にやりたいことではなかったのだから。

偽りの趣味で自分の周りを飾っていた時は無趣味な人は何が楽しくて人生過ごしているのだろうと今思えば失礼すぎるそんなことを考えていたように思う。

何かに興味を持つというのは絶対にやらなければいけないことではなく、自分がそれを選択したことによって何かしらのメリットが得られるから行われることに過ぎない。やるよりやらないメリットが強いと感じられる人であれば無趣味であっても決しておかしいことではない。

無趣味であることへのレッテルのようなものが、誰もが同じようでなければいけないみたいな状況を作り出しているのを考えると、世間体とかそういうものは面倒なのだとあらためて思う。

自分が無趣味であるということではないけども、周りに左右されて行動を決めてしまうようだと本当に楽しいことはできていないと思うので、他人に何を言われようが自分の中の楽しいを突き詰められたらなぁなんてことを最近では考える。

考えた結果打ち込めるものがないという結論が出たとしたなら、それが一番自分にとって自然な形なんだろうなと。
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