人に共感されることを意識しなくなったらストレスがたまらなくなった

過去の自分は他人の評価で行動が変わる人だった。

自分という人間のイメージを保つために、本人が意識しないうちに相手の反応を読み、それで行動を変えていたように思う。

特に共感を強く求めていたのが音楽という趣味。

新しく発見した音楽を他の人に知ってほしいという欲がものすごく強かったのに、それをやめてみたら音楽が日常的にあるものではなくなってしまった。

勘違いしてほしくないのだけど、音楽はひとつも嫌いになってない。

あれもこれも聞いて、共通点を探す作業をやめた。好きな音楽は聞いた瞬間ときめくのだけど、そういうのだけ辿ってればいいと思うようになった。誰にも理解されなくてもいいんです。

自分の仲の良い友人が、GWで長期休暇がとれたようで、自分の想像するよりも遠いところに旅行に出かけてるのをみて、縛られないことをしている人は面白そうだと思うから、これからは縛られない生き方をする方向に行きたい。

過去に依存するのもやめましょう。自分から食べ歩きがなくなったら、自分を必要としてくれる人は減るでしょう。でも、それで必要とされなくなったなら、それは自分が必要だったのではなく情報が必要だっただけですから、自然な流れで目の前から去っていっただけのこと。

他人にどう思われるかで生活を形作ると、自分の場合はうまく行かないのがわかってるから、極力そういう可能性のあるところには近づきたくないんです。

何もしない生活が楽しくて、何かしたときにさらに楽しくなる生活が理想的。楽しさ感じるセンサーが麻痺している状態は何も楽しくなくなる。

最近毎日楽しいけど、どうしたらもっと楽しくなるか考えながら生きていこうと思う。
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