前提条件を考えて、それに対して自分がどう思うか

自分の生活を最適化していくこと、今一番楽しいことかもしれません。

既に部屋に捨てるものがないと思うくらい "現状の生活" では最適化は終わったと思っていますが、それは今ある生活の常識に縛られているからで、もしかすれば制限を取っ払えばもっと快適な生活ができるのかもしれないと思うと、ワクワクしてきます。

使い古されそうなブーム的な言葉「ミニマリスト」な考え方に憧れて、数年前からいろいろ考えて今に至るわけなのですが、ミニマリストって所有の少なさではなく、常識を疑うところの先に答えがあるような気がしているのですよね。

自分の価値観でいくならば、所有の少なさよりも所有する意味があるものを残したい。いくらモノが少なくなったとしてもそこに不便さがあるようであれば意味がありません。ただし、目の前の常識を疑うことをせずに不便さを主張するのは最適化ができていないと思います。


ここからは例え話です。

自分は昔から「外出先で通話すること」にメリットを感じたことがありません。連絡ツールとしてLINEなどの比較的迅速に連絡が取れるツールがあるのであれば、通話で伝えるよりも文章のほうが読み返すことが出来るという大きなメリットがあるからです。

通話をするという行為はリアルタイムで相手の時間を奪うということです。例えそれが重要な要件であった場合でもその事実は変わりません。

通話をする行為が選ばれる理由には、相手が着信を受け取れる状況にある場合にはすぐ対応してくれる、また電話はいつでも繋がるという共通認識があることが前提条件にあり、仮に電話をかけてもつながらない状況が当たり前であれば、即座に伝えなければいけない要件を電話ですることはなくなると思います。

もちろん、通話は悪いことではありません。相手の雰囲気を読み取って、会話の方向性をコントロール出来ることなどは大きなメリットですし、どんなことにもメリットとデメリットはあります。



こういうことを考えるのに大事なのは「なぜそれが利用されるのか」、その意味を考えることです。スマートフォンはなぜ外出先で誰もが触るツールになったのか、田舎で車が利用され公共交通機関が利用されないのはなぜなのか、社会人になってみんなで集まるとなると居酒屋が多く使われるのはなぜなのか。

「便利だからでしょ?」で済ますのはとても簡単ですが、大多数の人が共通の行動をする中には、普段考えることのない前提条件があると思うのです。

前提条件を考えて、それに対して自分がどう思うか。行動の変化というのは多分そこから生まれるのではないでしょうか。
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