共感を求めるために平均点な文章を書く無意味さ

平均点の範囲内でその感覚を共有して「それいいね」っていうのは簡単だけど、すごく偏った感じなのに共感求めても「いいね」って言われるわけもない。それでも「いいね」がつくとしたら、それは本当に同意しているか、空気を読んで「いいね」と言ってるかのどっちかであると。

過去の記事で、どうしたら自分のことをわかってもらえるのか みたいに悩んでたことがあったのですが、ミニマリスト的生き方を模索するにあたって、共感ってのを求めなくなりましたね。そこに自分を肯定する理由を置いてもどんどん負のループに巻き込まれる。

自分は元ネガティブ思考な人間だけど、今でもネガティブに見えるブログが好きです。ネガティブなブログのほうが、深く感情を理解しようとして自分の知らない部分に迫ろうと意識している気がして、文章を読んでいて面白いんです。

当たり障りもなく平均点を求めた文章っていうのには自分は面白みを感じないし、そんなの書くつもりがない。


「いいね」がなくても「コメント」がなくてもいいっていうのはある意味自分を納得させるために作った制限なのかもしれない。自然とそうなったのかは実はわからなくて、現実が上手くいかない (※相手が理解してくれるという希望がある) からそう思い込んでるだけなのかもしれないし、本当に共感なんていらないという方向へ向かってるのかもしれない。

自分の感情で曖昧なものに出会った時はチャンスであって、そこに迷いがあるというのはまだ自分のことがわかっていないということでもある。何を大事にして、自分は選択をし行動しているのか。そもそも共感されるから何かをするっていうのは本末転倒ではないのか。

現時点で、共感というのが厄介で自分は面倒であるという気持ちが強いのはなんとなくわかってきたことです。

考えることは面白いね。何でもポジティブになってしまう。
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コメント

いつも楽しく拝見させていただいております。
共感って、とても欲しい事なのですけれどよくよく考えればそれも自分自身のこだわりなのかなって思うようになりました。
色々と考えてしまいますね

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>> S さん

コメントありがとうございます。

共感は求めるのは自然な流れだと思いますが、共感に依存してしまうのが良くないのです。自分で良し悪しを判断することを他人に押し付けるようになってしまうと何もかもが上手くいかなくなってしまいます (過去経験談)

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