反応があることがいいのか? って過去の自分に問いただしたい

反応を気にするあまり何もできなくなってしまった数年前。何もかもが面白くなくなった気がして生きることが面白いのか疑問になっていた数年前。

今はただただ自由な時間があるだけで楽しいので、ビックリするくらい楽しいと思えるレベルが下がったなぁと思う。諦めではなく自然に。こういう記事書くと「あ、ネガティブか」って思うかもしれないけど、今の自分は驚くくらい超ポジティブです。

反応されることが嬉しいっていうのは人間誰でも持っている感情だと思うし、InstagramやFacebook、Twitterや友人がたくさん周りにいるスマホゲームなんかもそうだけど、反応が得やすいツールにどんどん依存していく。依存加減は人それぞれなんだろうけど、自分はドップリだった。

反応されることは嬉しい と思いつつ、それは合っているようで合っていなくて、心のどこかではもっと深い話がしたいと思っている自分がいる。ディープなことをディープに話し合える数少ない人とは本当に話していて楽しい。こういうこと書くと上から目線的に見えてしまうかもしれないけどそういうのではなくて、マイナー趣味な人が共感できないってことは過去にもこのブログで悩みとして取り上げている。

いつもどこに混ざっても居場所がない感じがしてフワフワしていた感情は、他人に依存しすぎていたことが原因で、自分が自分で満足するためにやりたいことがなかったんですきっと。今ではそういう感覚戻ってきてるので、反応に依存することは悪いことしかないなぁって思う。

そんなに反応に依存していた人が唯一反応に依存しないツールっていうのがこのブログであったわけで、ここに書きたいことを書きまくることで、反応されないことに当たり前になっていく。

そう、このブログは何年たってもコメントが少ない。それでいい。

ミニマリスト的考え方を持っている人ってこういう負の感情を持っている気がするのだけど、あんまりそういう記事を見ないのは、ミニマリスト的な考え方を持っている人のブログっていうのが収益を出すために書いている人が多いからだと思うのは多分検討間違いではないだろう。大体どんな人でも反応は少なからず期待しているのだろうね、それが目に見えるようにか見えないようにかは別として。


とある人とブロガー対談をした時に、ブログ上ではあんまり伝わってこないけどこの人は色々考えていると意見をいただいたことがあったけども、本当は今みたいな長文を書くブログを書きたいとずっと思っていた。長文は、読む人を苦痛にすることも多いし、このブログは食べ歩きブログではないものの食べ歩きコンテンツを楽しみにされている方が多いことを知っていた。だから、長文記事はTwitterに分散させてブログには書かないスタイルをとっていたけども、本来は今みたいなのが自分のやりたかったスタイルなのです。

大体こういう長文を書くときって、仮説と結論が飛びすぎ もしくは オチがなく文章力がないなぁと思いつつも数年後自分が成長するキッカケになれば良いと思って書いている。備忘録として自分が何を考えていたかを整理する場所としてやっぱりこのブログは存在するんだなぁと。

10年たって、このブログの価値が自分の中で前よりもずば抜けてあがった感じがありますね。
関連記事

このページのトップに戻る

コメント

名前
メールアドレス
WEBサイト
 
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップへ戻る

最新記事 / コメント

気になるブログ