シンプルから見える妥協しない生活

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最近やる気があるときとそうでない時の差が激しくて、パソコンは起動させているものの何もしないでそのまま閉じるということが結構あります。ブログに書きたいことは山ほどあるのに、毎日更新しないために写真は溜まっていく一方。

定期的に部屋の大掃除をして、不要品は捨てるという生活を繰り返していたのですが、ようやく自分の納得いく形まで物が減ってきて嬉しいです。普通は捨てないであろう、まだ現役で使えるプリンターも処分し、1年に1回使うか使わないプリンターが家から消えました。必要ならコンビニでもネットカフェでもどこでも印刷できます。

自分の生活において部屋の中に存在するのに使わないものは、必要ないのと同じ。物が溢れた生活をしていると心に余裕がなくなってきて、自分の場合はモヤっとしてしまうんです。

余計なものが目の前から無くなると、自分の今の生活で使っているものがあってるのかあってないのかが気になってきます。「妥協」で買ったものっていうのはきっと自分の愛するものにはならないのです。

良いと思ってやったこと・集めたもの・書いたこと、それらはきっと何も考えなかった時の何倍もの価値を持つでしょう。普段生活しているとそれが習慣になってしまって、妥協していることにすら気付かないことがあります。だから、普段とは別の目線が見えるくらいまでシンプルにしてやって、そこから探していくのです。

芯がないと存在できないくらい要素が少ない「シンプル」であるということ。好きであることを徐々に高めていけばそういう生活が出来るかな。ゆっくりやっていこう。
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